2017年1月9日月曜日

朝ドラ『べっぴんさん』の作られ方 (1)

久しぶりに朝ドラを観てみようと思ったのは、主人公がよくあるグイグイ系でベタベタな演技で押し通してくるタイプではなく、他のものより見易そうだったから。なお、自分は『あまちゃん』は朝ドラとは別物として扱っているので、ここで「朝ドラ」という言葉が出てきたら、『あまちゃん』は含まれないと思って頂きたい。

『べっぴんさん』で最初に思ったのは、お嬢様という名のポンコツさん達が、まわりの助けを借りながらキアリスという会社を大きくしていく話なんだろうな、ということ。ただ朝ドラは基本ホームドラマであり、仕事の描写はかなり雑なものになるであろうことは分かっていた。だが、それ以前に余りにもご都合主義が激しく、すみれ達メインのキャラも煮え切らないというか、女学校時代と大して変わらないことに苛立った。話もハネることなく、何か問題が起きても誰かの助言で簡単に解決、というパターンの繰り返し。これでは内容に興味を持てるはずがない。どうせ都合よくキアリスは拡大していくのだ。今後どうなるか?といった展開を待つ楽しみもない。興味は次第になぜこんな稚拙なドラマをわざわざ作っているのか?という点に移っていった。

このドラマを観ていくうちに、すみれ達にあえてあまり個性を与えず、子供っぽい印象を与えるようにしているのではないかと思うようになった。『少年ジャンプ』などの主人公はできるだけ特徴を付けないようにしているらしい。その方が、まだ何物でもない、自我の固まっていない子供には自分を主人公に投影させ易いのだそうだ。しかし、無個性だけでは子供の興味は惹けない。そこで何かの天才だったり、神から選ばれし者的な特別な存在として描かれる。主人公は特に努力してなくも、都合よく助けられたり、持って生まれた才能で道を切り開いていく。『べっぴんさん』のすみれは、まさにこのタイプの主人公として設定されているのではないか。

すみれが9歳のとき、町にある「あさや」に行きたいと言い出すと、都合よく潔が同行してくれた。そして潔はなぜかすみれのことを、とてもよく理解していた。これがすみれにだけ都合の良いことになっていたことは、後に分かる。潔はすみれに気があった訳でもなく、ゆりや紀夫をよく理解していた訳でもなかった。なぜか子供のときはすみれだけ特別に理解していたのだった。

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