『マツコの知らない世界』では「ダム・カレー」の特集があって、『カルテット』とはまさかのダムつながりだった(笑)。前回は真紀と幹生が出会って離れるまでをシリアス基調で描いたが、今回は一転してコメディー調。クドカンを意識した構成なのだろう。前回と合わせて1話にまとめることも出来ただろうが、結果的に面白かったからいいのではないだろうか。
■ 猫とネズミのエンディング
真紀と幹生が再会したところからエンディングテーマが流れる。まさに二人の関係の「終わりの始まり」といった感じだ。幹生が有朱を殺してしまった(勘違いだが)ことを聞かされた真紀は、自分の身を投げ打って逃げることを提案する。真紀には幹生への愛がまだある。そして幹生も、体を張って有朱から真紀のヴァイオリンを取り戻そうとしたのだから、真紀への愛は残っている。しかし、前回、幹生がすずめに自分の結婚指輪を「指輪に見えるオブジェ」と言ったのは、彼の率直な気持ちだったのだろう。もはや自分にとっては結婚を意味していない、ただの物体に過ぎないのだと。幹生は真紀を巻き添えにすることを望まず、自分一人で湖に沈もうと真紀を置いて車を走らせる。真紀は有朱が乗って来た車で追いかける。逃げる幹生と追う真紀は、ネズミと猫にも例えられる。「ミキオ」という名前はミッキーマウスから来ているのだろう。失踪直前、テレビに映っていたのはカピバラ(大型のネズミ)だった。詩集の栞になってしまった猫の落書きは、真紀が猫好きだったから二人で描いたのだろう。真紀は猫のエプロンもしていたし、「やっぱり猫が好き」だったのだ(笑)。そして二人が猫とネズミなら、共に暮らしていくことは不可能、ということでもある。
唐突に離婚届の話が出て来たのは強引だった。事前に幹生が真紀に離婚届を送っていたことを視聴者に知らせてしまうと、幹生の生存がバレてしまうので、ここでねじ込んできたのだろう。「離婚届はどこで出せばいい?」が前フリみたいになっていて、二人が東京の自宅へ向かうことで、ここが二人の終着点なのだと感じさせる。
別れの予感を背中に感じながら、自宅に戻った二人はかつてそうしたように、ふざけたり、おでんを食べて時を過ごす。それは別れの儀式のようでもあった。そして幹生の「きみには幸せになって欲しい」という言葉が幕引きとなり、真紀は幹生との溝を埋め戻すことができないと悟る。
『鏡の国のアリス』には「同じ場所に留まるためには全力で走らなければならない」というセリフが出て来る。前回、真紀と幹生は二人の間にズレがあることに気づき、何とかしようとそれぞれ走り出す場面があった。結局二人は足を止めてしまい、それが別れを決定づけてしまった。
■ 終わりは始まり
何度も「巻き戻し」のような場面が出て来た。雪の斜面を滑り落ちては上がってくる家森。呼び止められて何度も階段を昇り降りする真紀。バックのまま車を走らせる有朱。家森は真紀は巻き戻って早乙女真紀に戻り、カルテットにも戻ったと言う。だが、真紀が一番望んだ幹生の心は巻き戻らなかった。『鏡の国のアリス』でアリスは丘へ向かおうと歩き出すが、何度やっても元の場所に戻ってきてしまう。真紀もまた同じ場所へ戻って来た。人はそれぞれ違うものだし欠点だってある。それらを許容できないと生き辛い。真紀は幹生と自分の違いを楽しめたが、幹生はそうではなかった。真紀はドーナツホールの面々は欠点でつながっていると言った。彼らは家族など、本当はつながりたかった人とつながれなかった人達の集まりでもある。
ついでに『鏡の国のアリス』のことで付け加えると、前回から何度も花が巻家に登場する(『あまちゃん』の花巻さんは関係ないだろうw)。なくても良さそうだが、『鏡の国のアリス』では喋る花が登場するので、これに因んだものなのだろう。さすがに花に喋らせる訳にはいかないので、代わりに「花言葉」に頼ることになる。
何かの終わりは別の何かの始まりでもある。最後にすずめは真紀といつもタイトルバックで使われる曲で、何かが始まりそうな予感を奏でる。
■ それぞれの望み
今回登場人物にはそれぞれ望むものがあった。家森は逃げ出したサル、有朱は真紀のヴァイオリン、別府は倉庫からの早期脱出、真紀は夫。それぞれの望みはそれぞれの理由で阻まれ、結局誰も望んだものを得られなかった。そんな中、すずめが真紀を取り戻せたことが唯一の救いかもしれない。すずめが真紀をタクシーで追いかけている間、別府は倉庫に缶詰め状態、家森はサル探し、巻鏡子も腰を痛めて動けなくなっている。このドラマでは真紀とすずめの関係性が大きな軸になっているのだと感じさせる。■ 罪と罰
有朱は家森から楽器が高価なことを知ると、青いふぐりのサルなんか探してる場合じゃない(見つかっても10万円で、だいたい闇雲に探しても見つかる訳がない)、とばかりに誰もいない筈の別荘に駆けつける。これはメーテルリンクの『青い鳥』のパロディーでもあるのかもしれない。どこにあるか分からない幸せよりも、有朱はとりあえず金に飛びつくのだと。そう言えば、メイン演出でチーフプロデューサーの土井祐泰はドラマ『青い鳥』(野沢尚脚本)の演出もやっていた。このドラマは逃避行の話なので、今回の真紀と幹生とも重なる。以前有朱は執拗に真紀に絡んでいたので、金のためだけでなく、真紀を困らすことも目的でヴァイオリンを盗もうとしたのかも知れない。しかし、居合わせた幹生と揉み合いになり、転落。命に別状はなかったが、ダム湖に投げ込まれそうになったりと、散々な目にあったので、本人からすれば十分償ったような気でいるのかもしれない。ただ、幹生が有朱を死なせたと勘違いしなければ、すぐに警察に自首してしまい、二人で最後の時間を過ごすことはなかったかもしれない。そういう意味では有朱は貢献しているのだ。真顔で車をバックさせる吉岡里帆を見て、この人がコミカルに振り切った演技がどのくらいできるか見たくなった。
すずめは幹生に拘束され、さらに真紀からも突き放される。すずめは自力で拘束を解いて真紀を追いかけ、コンビニでやっと真紀を捕まえる。私も食事に混ぜて、と言わんばかりに真紀達のおにぎりに自分の分を加える。まるで自分をおいて出掛けようとする母親に必死でついていこうとする子供のようだ。自分が真紀を騙していたことを、幹生に拘束されたことでチャラにしてもらうのも子供っぽい。
真紀はすずめに言う。「抱かれたいの」半分はすずめを振りほどくため、半分は本心なのかもしれない。別荘に戻ったすずめがチェロで弾いた曲は"Both Sides Now"。すずめにとって真紀は、父親の死に際に会いたくないという気持ちまでも受け入れてくれた人である。いつも見ている真紀の母親のような側面と、女の側面の両方を見てしまったのだろう。椎名林檎の『罪と罰』という曲を思い出した:
あたしの名前を
ちゃんと呼んで
体を触って
必要なのはこれだけ
認めて
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