2017年3月9日木曜日

『カルテット』 第8話



すずめの片思いが中心に描かれた第8話。宅建の資格証書には「綿来すずめ」とあったので、少なくとも資格を取った時点ではその名字だった。「世吹」を名乗る理由は相変わらず伏せられたままだが、そんなことを吹き飛ばしてしまうような出来事が最後に起きた。

■ 片思いは一人で見る夢


一体別府は何度真紀に告白すれば気が済むのだろうか?(笑)「またですか?」とか言われたらお終いだと思うけど。これだけしつこいと、脚本家が例の映画(『告白』)を思い出させようとしているのかと勘繰ってしまう。

真紀が別府にバッハの『メヌエット』を弾いてみせたのが、ちょっと気になる。ピアノの練習曲ということなのだろうが、これは"A Lover's Concerto"という曲の元にもなっている。



この歌はざっくり言うと、二人が恋に落ちたずっと後になっても嘘偽りなく愛していてくれたら最高ね、という内容。これを誘い水だと別府が勘違いして改めて告白してしまったとも考えられる。歌詞に「セレナーデ」(小夜曲)が出て来るが、この曲を弾いている場所が「ノクターン」(夜想曲)なのも面白い。

親が自分の子供に対して持つ気持ちは、ある意味「片思い」と言えるかもしれない。巻鏡子は息子を信じるあまり、真紀を疑い続けた。前回、腰痛をおして食器を階段まで運んで来たが、離婚して関係なくなったのに別荘に置いてもらってることや真紀を疑った申し訳無さで相当肩身が狭かったことを物語っていた。しかし体が回復すると説教しだすのは、これがこの人の通常モードで、幹生が逃げ出した理由も分かるのである。だが4人は説教をスルーして「だるまさんがころんだ」みたいにして食事を始める。まるで口煩い母親とふざけ合う兄弟のようだが、子供の頃に出来なかったことを今埋め合わせているようにも見える。そんな他愛もないことが、たまらなく愛おしい時間だと感じられるのではないか。そしてそれはいつまでも続かない予感をはらんでいる。

元Vシネ俳優にして「寸劇の巨人」家森は、すずめに片思い。すずめはトイレのスリッパを履いたままだったりと大雑把なところは元妻・茶馬子と共通している。すずめの別府への気持ちを知っているので、鉄板焼きに誘われたことが嘘だと見抜き、たこ焼きを買って来て食べさせるという健気さを見せる。家森は「片思いは一人で見る夢。両思いは現実。片思いは非現実」、そして「夢の話をして『へえ』と言わせないで」とも言っている。彼自身は告白することなく、せいぜい寸劇というシミュレーション的なものに留まっているのである。

すずめは別府の弟が別荘を売ろうとしており、さらに自分たち「ダメ人間」が別府に負担をかけていることに気付く。「布団の中で暮らすこと」が夢だったすずめは、別府のためにバイトすることにする。バイト先の根本は、すずめにチェロを教えてくれた「白い髭のおじいさん」を想起させるが、今度はすずめがパソコンの使い方を教えるという逆の立場になることで、彼女の成長と、変形した『舌切り雀』の恩返しのようなものを感じさせる。

すずめはこれまで別府のベッドに潜り込んだり、キスしたりしているので、言葉にはせずとも告白しているようなものだが、家森の「冗談です」とは違うやり方でなかったことにしようとする。大した意味ないんです、そんなこと忘れちゃって下さい、と見えるように。家森の「お離婚」が聞こえたのだろう。だからそれを意識して、別府と蕎麦を食べるとき「お昼」以外なんで朝と夜には「お」を付けないかという話題を持ち出してしまう。切ない。

すずめは自分の気持を抑え、別府と真紀をくっつけようとする。その理由は「二人とも好きだから」。サボテンに水をやるように、二人の花が咲くよう色々な画策をする。しかし自分の気持を止めることはできない。別府とデートした夢を見たすずめは目覚めると、その夢の続きを追いかけるように走り出す。辿り着いたのは「夢」と冠せられたコンサート会場で、そこにはデート中の別府と真紀がいる。片思いが夢ならば、それは夢の続きとも言えるが、自分が別府と一緒にいないという現実を見ることでもある。すずめは二人が一緒いた安堵感と辛さ合わさり、微笑みながら涙を流す。すずめの微笑みの裏側には、辛さが同居していることが多い。

考えてみれば、ドーナツホールの4人全員が音楽に「片思い」しているようなもので、4人で同じ夢を見ているとも言える。果たして「夢の沼」に沈んでしまうのか、それとも「丁度いい場所」を見つけられるのか...

■ 入れ替わり


今回は「入れ替わり」が何度も提示された。すずめが期待したナポリタンの代わりに蕎麦。入れ替わり立ち替わり蕎麦を食べる4人、など。誰でも気付くように何度も繰り返している。このように、最初から一貫してこのドラマの演出は視聴者に分かり易いようにしている。しつこいくらい半田にアポロチョコを持たせたり、巻家ではカメラ側に花を置いたり、といった具合に。これくらいしないと視聴者には伝わらないと番組制作側は考えているのだろう。

4人の体が入れ替わる夢を見たと別府が言ったのは、『君の名は。』を思い出してもらうためだろう。最後に真紀は早乙女真紀でなく、「誰でもない女」であることが示されるが、「入れ替わり」が何度も提示されたことを素直に延長すれば、真紀もまた誰かと入れ替わっていると考えられる。

すでに第3話で真紀の入れ替わりを予感させるようなことが起きている。すずめは父親に会うことを拒否したが、真紀は病室まで行っている。父親が意識混濁状態なら、娘が最後に会いに来てくれたと思っただろう。そういう意味では、自覚的ではないが、真紀はすずめの入れ替わりの役を既に行っている。

今後真紀がすずめに成り代わり、すずめの過去を引き受けて生きる、みたいな展開があるかどうかは分からないが、すずめは過去という籠の中にまだ閉じ込められているようなので、少なくともすずめに対して何らかの救いがもたらさなければ、このドラマは終われない。すずめはよく眠るが、いずれ「目覚め」が訪れるという流れでもあるように思う。

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