2017年2月1日水曜日

『カルテット』 第3話


すずめの過去が明かされた。子供のときに父親の超能力詐欺に巻き込まれていたのだ。それ以来、すずめ自身がまわりから白い眼で見られ、いつも自分の居場所がなかった。来杉有朱(吉岡里帆)の恋愛教習所(笑)で特別講習を受けたすずめは、別府への接近を試みるが、父親の命が長くないことを知らされる。

■ ボーダー ~交わらない線と線


ボーダー柄の服は何を意味していたのだろうか?2つの意味を持たせていると思う。そのひとつが「交わらない線と線」。これはすずめと父親を表している。

すずめは自分を詐欺事件に巻き込んだ父親を許すことが出来なかったし、憎んでもいただろう。すずめは家森の一枚しかないパンツ(男の下着をランジェリーって言うなw)を暖炉で燃やしてしまう。第1話からフリがあった家森のパンツがここに着地するとは思わなかった。このパンツはボーダー柄でもあった。男物でひとつしかないもの。これはすずめの父親の暗喩で、すずめがそれを燃やしたということは、父親に消えて欲しいという願望があるか、すでに心の中では無いものにしている、ということだろう。

「てんきよほう」は上唇と下唇をくっつけずに発声できる。有朱は巻鏡子とすずめに「こんにちは」の後すぐに「さようなら」で立ち去る。これらは「非接触」のイメージで、「交わらない線と線」に対するヒントなのだろう。

「ボーダーを着ていると特別な関係に見える」というセリフの後、すずめを探しに来た岩瀬純(前田旺志郎)はボーダーを着ていた。この時ボーダーを着ていた真紀は、後ですずめの父親の入院する病院へ行くことになる。ボーダーが父親と結びつくことのヒントのようにもなっている。

『問題のあるレストラン』では主人公の田中たま子が自分と門司の関係を例えて「2つの直線は1点で交わった後はもう交わることはない」と言っていた。脚本の坂元裕二は線を使った例えが好きなのかも知れない。                  

■ 境界を越える真紀とすずめ


ボーダーのもう一つの意味は「境界」。病院近くの道路をはさんで、真紀とすずめは並行して走るが、その様子はまさに2つの平行線を描いているよう。真紀はすずめを呼び止め、道路を横断してすずめの腕を掴む。二人の間にある境界を乗り越え、接触した瞬間だ。2つの線が意志の力で交わったと言ってもいい。蕎麦屋で真紀はすずめに亡くなった父親のところへ行かなくてもよいと言う。線と線を無理に交える必要はない、許さないことを許すのだと。それはすずめにとって何よりもの救いの言葉だったろう。

父親の呪縛から開放されたすずめは、別荘に戻ったとき別府にキスをする。これはペットボトル一本分の境界を飛び越えることであり、有朱が言った「女からキスしたら男に恋は生まれません」を無視することでもある。そのときすずめは「WiFiつながりました」と言う。別府とつながっただけでなく、孤立し続けたすずめが、この世界とつながった瞬間でもあるように感じられる。

■ 孤立とズレ


千葉は軽井沢よりもずっと南なので、真紀とすずめの格好は場違いな感じを与える。ケーキと日本茶の組み合わせも普通の感覚からはずれている。さらに蕎麦屋のラジオからは稲川淳二の怪談が聞こえてくる。真冬の怪談も一般的な感覚からはずれている。真紀は一度はラジオを消すが付け直す。すずめが父親の最期に会わないという、世間一般の感覚から外れたものでも、真紀は許容するというサインだった。

真紀とすずめが軽井沢の別荘に戻ったとき、家森と別府はイルミネーションを飾り付けている最中だった。クリスマスの時期ではないので、これもずれていると言えるが、すずめを喜ばそうとした訳だから、「優しいズレ感」とでも呼んだ方がいいかもしれない。このドラマはそうしたズレをも包み込む。

すずめはバッハの『無伴奏チェロ組曲』を弾きだしてすぐに止め、チェロにキスするような仕草をした後、別の曲を演奏し始めた。ここにもあるべきものから外れてしまっても良い、好きな曲を弾けばよい、というメッセージとともに、自分はチェロとともに生きるのだという決意も感じられる。それにしても満島ひかりがチェロを演奏している姿は圧巻だった。

すずめは父親と縁を切っても、テレビを使って大きな詐欺事件を起こしたせいで、どこへ行っても過去がバラされ、いつも居場所を失っていた。真紀は夫が失踪し、義母からは疑われ、孤立した状態にあるようだ。別府も家族はみんなすごいんで、と言っていたので、自分だけそうではないという孤立感を持っているようだ。家森のことは次回で分かるだろうが、やはり孤立した存在なのだろう。真紀とすずめが別荘に戻ったとき、「ただいま」と言う。男二人は「おかえりなさい」。別荘はそんな4人が家族のように暮らせる唯一の場所なのだ。

有朱も妹の口振りでは、家族を始めとする周囲とソリが合わず、孤立している感じだ。4人と関わることで何かが動き出すのだろう。ノクターンは今のところ「問題のないレストラン」(笑)のようだが、有朱が何かしら波乱を持ち込む可能性があるように思う。

■ すずめという名前


『スズメとキツツキ』という昔話がある。ドラマの中にも虫や米が出て来るので、今回の話はこの昔話を踏まえたもので、「すずめ」という名前の由来もここから来ているのかもしれないが、他の理由もありそうな気がしている。

スズメという鳥は人が近づくと必ず逃げる。人に近づかないイメージは職場で笑顔を絶やさないが、決して人に近づかないすずめのイメージと合致しているように思える。また、イタリア語で"cello"は「小さい」という意味があり、これもスズメにつながるように思える。

■ すずめの秘密はこれで全部?


すずめの名字が世吹ではなく、綿来だった。世吹はすずめが勝手に名乗っているのか、それとも親戚の養子にでもなって実際に名字が変わっているのか?人の眼から逃れるため、そうしたとも十分考えられる。

第1話からすずめが冷たい物(牛乳やアイス)が好きなこと、汗かきであること、演奏前に靴下を脱ぐこと(これらの原因はひとつだが)が繰り返し提示されてきた。これは単に視聴者の興味を引きつけるためのダシだったのか?それともちゃんと意味があるのか?すずめの秘密が今回で全部分かったと思わない方がいいかもしれない。

■ 『愛のむきだし』


声だけの出演だった安藤サクラは満島ひかりと園子温監督の『愛のむきだし』で共演している(吉岡里帆とは『ゆとりですがなにか』で共演)。『愛のむきだし』では満島ひかり演じるヨウコを自分が所属するカルト教団に引き入れる役だった。今回は逆に職場から追い出す側だったことがちょっと面白い。

また、同映画は主人公がクリスチャンの母親に「マリアのような女性をみつけなさい」と言われ、ヨウコが主人公にとって唯一無二の女性であり、彼のマリアを手に入れようともがく話でもあった。第2話で別府が真紀に魅せらたとき、真紀が弾いていた曲は『アヴェ・マリア』(「こんにちは、マリア」という意味らしい)だった。今回真紀はすずめに救いを与えている。真紀は3人とってマリア的な存在になるのかも知れない。

『愛のむきだし』の主題歌はゆらゆら帝国の『空洞です』。これは「ドーナツの穴」につながるイメージ。このように『カルテット』には随所に『愛のむきだし』へのオマージュが感じられる。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

おもしろい考察を有難うございます。とても魅力的な情報量の多いblogだったので、差し出がましいのですが一点書き込みます。
すずめちゃんの名前について、鹿児島県に伝わる昔話の『スズメとキツツキ』よりは千葉県南房総地方に伝わる『スズメとツバメ』の方がこのドラマにはなんかしっくりくるかなーと思います。千葉県と、ツバメちゃんと変換されてたってとこだけで、話の軸は同じなんですけどね。

マットハズレー さんのコメント...

コメントありがとうございます。
そうですね、脚本の坂元さんも『スズメとツバメ』を意識したのだと思います。
今回病院が千葉にあったのもヒントだったのかもしれませんね。