第4話をざっくりまとめると、家森には別れた妻・大橋茶馬子(高橋メアリージュン)と息子がいて、一時はヨリを戻すことを考えるが、結局音楽を取ることになる。一方別府は、あれだけ強く拒絶されて諦めたと思っていたら、真紀に再度迫っていくという、なかなかの恋愛ゾンビぶり見せる(ちなみに松田龍平はゾンビの真似が得意らしいw)。ゴミ出しの時の怒り方といい、別府の不穏さが首をもたげて来たようだった。家森も真紀を脅して金を巻き上げるつもりだったことを告白し、暗黒面をのぞかせた。
家森の話は類型的な気がした。その分普通のドラマに近づき、この方が見易いと感じた人もいるだろう。その代わりのサービス、なのかどうか分からないが、表面的な笑いだけでなく、隠れた笑いも多かったように思う。
■ 捨てられないもの、変えられないもの
半田(Mummy-D)にヴィオラを奪われた家森は息子のもとへ向かう。音楽を奪われてはじめて、ずっと尾を引いていた元妻と子供に向き合う気になったわけだ。これは第2話の別府の時と同じパターン。目の前に2枚の紙が重なってあるが、手前の方しか見えない。別府の場合は一枚目の紙である真紀が取り除かれてやっと2枚目の紙である結衣が見えた。家森の場合は1枚目が音楽で、2枚目が元妻と子供。同時に複数のことを考えられない、男性の一般的な傾向が反映されている。
冒頭で誰もゴミを捨てないと別府は怒っていたが、捨てられなかったのはゴミだけではない。家森は結婚していた時は音楽を捨てられず、離婚後は元妻と子供のことを引きずっていた。家森はアジフライにソースをかけることを止められない。自分のスタイルというものが変えられない人で、茶馬子はそのことを理解していた。儀式のように息子と合奏した後、家森は元妻と息子と別れることになる。心の中にポッカリ穴が空いた状態だろう。ベンジャミン瀧田が言ったように、欠落をかかえて家森は音楽を続けることになる。「家森」という名前には木が3つあり、「3人の家」というのを表していたのだと思う。
真紀は夫への思い、別府は真紀への思いを捨てられない。真紀は家森をフォローするため、彼が言った茶馬子への悪口を、反対語のようなものにしてに伝えてみせた。ピラニアはノドグロに、デスノートはドラゴンボールといった具合に。しかし、茶馬子の気持ちを変えることはできなかった。
真紀は今度、別府から「愛しいは虚しい」など、相反する気持ちが同居していると伝えられる。それは剥かれた甘栗のように、別府の気持ちをありのまま表現したものだろう。真紀が言った反対言葉は嘘だったが、ときには反対の言葉も真実になる。
真紀の義母である巻鏡子もまた息子を信じる気持ちは変わらないし、真紀への疑念を捨てられない。雪の中に眼鏡を落としたまま強制連行されるように軽トラで去って行ったが、真紀はその眼鏡に気付いたのだろうか?もたいまさこは映画「めがね」でかき氷を作っていた人でもあったw。
ゴミはいずれ捨てねばならないが、思いを捨てるのは難しい。第1話で真紀はベンジャミン瀧田を追い出した。人を騙しながら音楽を続ける苦痛から開放し、その代わり瀧田を追いやった痛みを抱えながら音楽を続ける道を選んだようにも見える。別府は結衣を、すずめは父を失い、自分の気持に区切りをつけるしかなかった。今回茶馬子は家森が致命的なことを言い、もはや元に戻ることはないという事実を突きつけた。思いがすぐに消えてなくなることはないだろうが、どこかで区切りをつけることが生きていくためには必要なのだろう。
■ アポロン
半田がいつも持っているアポロチョコ。いかにも何か意味ありげだが、半田はギリシャ神話に出てくる神、アポロンのような存在になっている。
アポロンは医術の神であり、疫病神でもある。半田は風邪を治そうとチョコと風邪薬を混ぜて服用するが、これが彼なりの治し方なのだろう。風邪は人にうつすと治ると言うが、結局家森にうつすことで治っているように見えるw。
アポロンは節度のある神とされるが乱暴でもあるという、ちょっと矛盾した存在。半田はゴミを捨ててくれたりする一方で家森をす巻にして階段から落とそうともする。
アポロンは音楽の神でもある。半田役にライムスターのMummy-Dが選ばれた理由の一つだろう。半田は家森からヴィオラを奪うが、わざわざ軽井沢まで来て丁重に返却してくれる。音楽の神から音楽をやっていいよ、というお墨付きをもらったかのようだが、当の神様は冬の軽井沢で『二人の夏物語』をヘビロテしているのだから、なんとも心許ないw。
■ 赤茶馬子
このドラマでは焦点を当てたい人物に赤いものを着させ、視覚的に目立つようにしている。今回は茶馬子がずっと赤いセーター。すずめは第1話から赤いセーターを着ていたが、今回はなし。男に捨てられ、子供を連れて行かれた茶馬子は、別府がゴミを捨てないと怒っていた同じ場所にやって来て怒りをぶちまける。茶馬子の赤は「怒り」を表しているようにも感じられた。
前回の蕎麦屋のシーンでは、すずめが赤いセーター、真紀は緑の服で蕎麦屋の壁も緑だった。映像的にすずめが際立つような配慮だが、赤がすずめの「痛み」を表し、補色の緑色で中和させようとしているようにも感じた。第1話ではベンジャミン瀧田に緑のマフラーをさせ、赤い帽子がより映えるよう配慮されていた。
「茶馬子」という名前は下手なキラキラネームを黙らしてしまいそうだが、どうやらちゃんと意味があるらしい。岩手県の滝沢市と盛岡市で毎年行われている「チャグチャグ馬コ」という祭りがある。昔この地方では農耕に使っていた馬を家族のように大切にしていて、年に一度馬を休ませるため、神社にお参りしたのが始まりらしい。そのとき馬を飾るのだが、大小の鈴もつけられ、歩くと「チャグチャグ」という音に聞こえるのが名前の由来だそうだ。茶馬子が独特のピンポン(呼び鈴)の鳴らし方をするのは、これに因んだものだろう。東北の祭りが由来だと分かると、茶馬子が一貫して関西弁をしゃべり続けるのがより一層楽しくなる。
家森はあまり働いてなさそうだったので、茶馬子が生活のために働いていたという含みもあるのかもしれない。家森は6千万の宝くじだけでなく、家族として大切にすべきだった相手をも失ってしまった。
茶馬子もすずめもトイレのスリッパを履いたままだった。二人には共通するものがあるということか。家森はもう第1話あたりですずめの寝顔に見入ったりしてた。
■ フレール・ジャック
日本では『グーチョキパーでなにつくろう』として歌われることが多いフランスの民謡。元の歌詞には今回とリンクしそうなものがある。「お眠りですか?」は車の中で眠るすずめを思い起こすし、「朝のお勤めの鐘を鳴らしてください!」はゴミ出しという朝のお勤めををサボっている3人に向けた言葉であるようにも思える。
■ 流れの変わり目
1クールの連ドラではだいたい4話目くらいでパターンを変えてくることが多い。前回までは真紀が誰かの痛みを和らげるような役割だったが、今回は3人がかりで家森を癒そうとしていて、これまでと違う印象だ。別府と家森、有朱も不穏な空気を出し始め、何かが起きそう気配だ。最後は露骨に次に続くよ感を出して来た。第5話で第1幕終了ということなので、次回とセットになっていると考えた方がいいのだろう。
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