2016年6月21日火曜日

ドラマ『ゆとりですがなにか』最終回 (2)

山路の性教育と結婚式の様子が並行して描かれていた。体は栄養さえあれば自動的に成長していくが、心の方は一生成長過程(途中で止まってしまう場合もあるのかもw)なので、その時々で悩み、迷う。正和と茜は結婚という局面で悩み、自分たちで乗り越えようとした。結婚後のことは宗貴夫婦の妊活や酒屋は向いてないから農業やりたい、という形で示されていた。さらに世代が上がって麻生の年に至ってもそうなのだと提示されている。麻生の場合、ファッションに対するポリシーだけは曲げるつもりなさそうだが。

正和は早川を殴ることで手を痛め、茜は山路に自分を殴らせた(タイミングは間違ったw)。二人ともそれが意味がなかったことを悟る。その代りに正和は友達じゃないと言い張る友達のまりぶの妻をラッキーパンチ的に見つける。まりぶが正和を披露宴へ強制連行したのは、その返礼の意味もあっただろう。茜は一人で結婚式に臨むこことで代わりの痛みを引き受けた。

正和が早川を殴ったとき妻と娘が少し映るのだが、二人とも髪型が前髪ぱっつんショートだった。このドラマは、ほとんど気づかないようなところまでちゃんと演出されていた。単純なミスもあったけどw 居酒屋やカフェなど客がいるシーンが多く、しかも正和達が大声で騒ぎ出すので、モブキャラのリアクションが欠かせないのだが、中にはすごく上手い人もいて驚いた。

成長は時にいびつな形を取ることもある。まりぶは妻子を抱えながらも、心は少年のまま路上を彷徨っているように見えた。決してモテない訳ではない山路が童貞のままなのは、子供達のことが頭にちらついて、いざとなると出来ないことが原因だと明かされた。男としてはどうなの?という感じだが、良い教師であることの裏返しとも受け取れる。たぶん佐倉はそのことが理解できたのだと思う。

完璧な人間などいない、人はいくつになっても間違えるものだ、という主張はこれまでのクドカン作品の中でも繰り返されてきた。今回は小学生に語る形で、より直接的に山路の口から分かりやすく伝えられている。

0 件のコメント: