2016年6月20日月曜日

ドラマ『ゆとりですがなにか』最終回 (1)

『あまちゃん』では中年3組の合同結婚式という変化球だった。これは結婚式というよりも、長引かせてしまった青春の卒業式の意味合いの方が強かったように思うが、今度は結婚式、披露宴という形式的、儀式的なものを徹底的に解体してしまったように思える。

劇中でも「やくざの襲名式みたい」というセリフが出てくるが、見かけはまさにそれ(笑)。司会の山路は洋装で浮きまくっている。麻生の衣装もチャラついて浮いてる感じだが、魔法使いでも何でもなかったオズをイメージした衣装として見ると、結構納得してしまう。オズは気球に乗っていて、たまたまエメラルド・シティーに着いた、いわば迷子であった。麻生もまた道に迷っていた人として直接的に表現されている。

結婚式、披露宴は神道とキリスト教の混ぜ合わせたようにも見えるし、どちらもどうでもいいじゃないか、と言ってるようにも見える。結婚する二人の意志さえ確認できれば他に何が必要なのか?と問われているようだ。挨拶やスピーチ、指輪の交換、といった形式的なものはひたすらスキップされる。三三九度の盃だけ別々の場所で同時刻に行われるが、二人の意志表明として使われているのではないか。

『ごめんね青春!』では贖罪、異なるもの(男と女、仏教とキリスト教とか)どうしの相互理解と融和を描いていた。これらの要素が今回の結婚式にギュッと詰められているようだ。茜が正和不在の結婚式にひたすら耐えるのは贖罪のためだった。

茜が足が痺れたと言って白無垢姿で這うように正和ににじり寄って行った。正和の方から近づかないのはいかにも不自然だが、これは『魍魎の匣』という映画のパロディーだから(パロディーや引用は別にまとめる予定)。演出家達が同業の若い世代に向けて、「このタイミングでパロディー放り込む度胸あるか?」と挑発しているのかもしれない。

正和が酒瓶を倒す場面が何度も登場する。「覆水盆に返らず」という言葉を思い出すが、「こぼした酒は拭けばいい」と解釈した。間違った過去は取り消せないが、現在の状態は改善できる、ということだ。

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