『半分、青い。』を第5週まで観たところで、鈴愛と律の関係性がだんだん『あまちゃん』のアキとユイのそれを踏襲しているように見えて来たので、そのあたりのことを書いてみたい。
楡野鈴愛が秋風羽織に影響されて漫画家になるべく突っ走る姿。農協はコネで入れたことを知ってインチキはイヤだ、という姿は、『あまちゃん』の天野アキの姿に重なる。アキは海女さんやアイドルになるべく突っ走り、母・春子が自分の過去を逆手に取って集めて来た仕事をインチキと言って拒否した。天然で余りまわりに気を遣わないキャラも元々似ている。
鈴愛の幼馴染みであり、一番の理解者である萩尾律は、本当は何を目指しているのか、意図的にぼかされているような気がするが、「ともしび」でわざわざ大凶のおみくじを引いてしまうことで象徴されるように、少なくとも「ものすごく運の悪い人」として描かれている。それに加え、自分の運の悪さを乗り越える強さもまだ無さそうだ。センター試験の受験票が鈴愛の元にあることが分かると、ほぼフリーズ状態に陥り、結局京大受験は諦めることになりそう。秋風と繋がる糸が切れそうになったとき、鈴愛が10分おきに電話して何とか繋ぎ止めたのとは対照的だ。
『あまちゃん』の足立ユイも不運な人で、東京へ行こうとする度に何かが起こり、結局行けずじまいだった。ユイが自分の不運を乗り越えるのも、かなりの時間を要した。律はユイのようにグレたりはしないだろうが、強さを身につけるのには時間がかかりそうだ。
アキとユイは親友で、元々アイドルを目指していたのはユイだった。最初はユイの輝きがアキを照らしていたが、いつの間にか逆転し、アキがユイを照らす存在になっていた。劇中では太陽と月の関係になぞらえられていた。
『半分、青い。』では、鈴愛が2階にいる律を見上げるシーンが何度も出てくるが、鈴愛にとって律は見上げる存在であり、常に自分を助けてくれるヒーロー的な存在であった。それがここに来て逆転する様相を見せ始めている。鈴愛が自力で漫画家という夢を追いかけることで、自分の不運を乗り越えられずモタモタしている律を追い抜いていってしまう構図が浮かぶ。
このように、キャラ設定や二人の関係性が似ている。それでなくとも、メタ的なナレーションやオマージュ、80年代のアイテムを次々出してくるやり方など、『あまちゃん』との類似性を感じている人は少なくないだろう。あえて『あまちゃん』的なものを取り入れて挑戦しているのか、真似をしただけで終わるのか、それはまだ分からない。脚本の北川悦吏子は、ドラマのタイトルを『Love Story』にしてしまうという、普通ならストレート過ぎてためらうようなことでも大胆にやってしまう印象がある。『あまちゃん』という壁に立ち向かうには、こういう大胆さが必要なのかもしれない。
第6週では鈴愛は上京し、いよいよ漫画家になるための修行が始まる。アキは上京したとき、「奈落」から始まり、さらに深く潜ったところから浮上しはじめた。鈴愛に用意されているものは、今の感じでは「上昇」のイメージ。秋風の「羽を織る」という名前やティンカーベルの魔法の粉も空を飛ばせるためのものなので、まだまともに飛べそうもないスズメが羽ばたくための舞台として用意されている印象。もっとも、今までフォローしてくれた律がいない分、周囲の感情を鈴愛が直接浴びなければいけないし、スルスルと順調に漫画家になれるわけでもないだろう。今後『あまちゃん』にどこまで迫ることができるか、楽しみでもある。
2018年5月6日日曜日
2018年4月1日日曜日
ドラマ『anone』 ーさよなら、私
『anone』というドラマでは、「もうひとりの誰か」が実に多く出てくる。亜乃音にとってハリカはもうひとりの怜であり、中世古にとって陽人はもうひとりの弟であった。そして本作で最も重要なのが「もうひとりの自分」である。「本物とニセモノ」を主題としたこのドラマでは、「もうひとりの誰か」は「ニセモノ」という言い方もできるだろう。今回は「もうひとりの自分」に焦点を当ててみたいと思う。
アオバ(蒔田彩珠)には『あまちゃん』の「若春子」へのオマージュを感じるが、その役割は異なっている。若春子はアキにだけ見える幻影だったが、それはアキがかつての春子と同じ状況に達した(芸能界への道を閉ざされる)サインであり、アキが劇中の役割(誰かの深く沈めた思いを浮上させて決着をつけさせる。「海女さん」はこの役割の象徴でもあった)に無自覚であったので、その役割を果たすための導き手でもあった。
アオバ自身の言葉によれば、彼女はるい子(小林聡美)にとって、生まれてこなかった娘であり、友人であり、分身である。「幽霊というのとは少し違う」と言っている通り、アオバはるい子が辛い人生を生きていくために作り出した幻影だが、死も背負っている。るい子が高校生だったときの制服を着ているのは、何もかも思い通りにならないことが始まった転換点であり、子供であることの象徴だ。
アオバが手鏡越しにるい子を見る、という演出が何度か出てくる。アオバはるい子の鏡像であることを確認しているのだが、後にハリカが鏡越しに怜を見る、という演出に繋がっているようだ。二人は鼻を撫でる仕草を共有している。人はよく誰かに自分のことか確認するとき、自分の指を鼻に向ける仕草をするが、これに似た動作でもある。鼻は自分自身を表していて、やはりアオバはるい子自身であること示しているように思う。
るい子は離婚と生き続けることを決めた後、アオバとゆっくりと手を合わせる。アオバは「わたし、いい子?」と訊くが、それはるい子自身が母親に確認したかったことだろう。るい子は母親の立場からアオバはいい子であり、好きだと肯定する。るい子がアオバを見たのは、おそらくこれが最後だ。
ハリカと彦星もお互いに「もうひとりの自分」である。二人とも子供の頃に親に捨てられたも同然の境遇になり、「地球も流れ星になればいいのに」と思うほど絶望している。ハリカの長い前髪、青の多い服装は彦星のコピーのようでもあった。子供の頃の二人は施設を抜け出すが、ある意味二人の心はずっとどこかから抜け出した状態のまま、着地する場所を見出せずにいたようでもある。まだ世界が自分のためにあると思っていたような子供時代に、その世界から拒絶されたような二人は、お互い相手に自己を延長しあい、この世界にいるのは実質二人だけになる。「地球も流れ星になればいいのに」という言葉には、その他大勢の人はどうでもよい存在か、そもそも欠落しているように思える。余談だが、この「その他大勢の存在が抜け落ちている」のは大ヒット映画『君の名は。』でもある。だからダメな作品なのだが、このドラマの裏側でそれへの批判を意図していたのだとしたら、なかなか巧妙だ。流れ星、二人だけの世界。この映画につながる。
彦星を生かすことは、ハリカ自身が生きる意味にもなっていた。純粋だった二人は、お互いのために汚れる。ハリカは偽札作りという犯罪に手を染め、彦星は香澄の提案を受け入れ、高額な費用がかかる最先端の治療を受けることにする。それは少し大人になった、ということであるが、この世の中は「二人だけの世界」ではないことを認めることでもある。両方とも誰かの手を借りずにはなしえないことだから。更にそれは生きていくために必要なのは「もうひとりの自分」ではなく、別の誰かであると気付くことでもある。アオバとるい子がそうしたように、二人も最後に手を合わせる。
同じ手を合わせるという行為でも、それぞれの意味合いが違って見える。アオバとるい子の場合、触れることで分裂していた自己がひとつに戻ったような感じがする。ハリカと彦星の場合は、お互いが自己の延長のような存在ではなく、別々の存在であることを確め合ったように思えるのである。
大林宣彦監督の『転校生』は、「もうひとりの自分との出会いと別れ」の話である。この映画に出演していた小林聡美の配役は、その演技力だけでも十分な理由になるが、メタ的な意味も込められていたように思う。「さよなら、私」は、この映画で小林演じる一美の最後のセリフである。このドラマの作り手は、『転校生』から長い年月を経て、小林に別の形で「もうひとりの私」に別れを告げる役をやって欲しかったように思う。
「もうひとりの自分」は坂元裕二の前作『カルテット』から引き継がれたものでもある。真紀とすずめは互いに「もうひとりの自分」だった。二人とも奏者であり、母親を亡くし、父親には苦しめられ、名前を変えた過去を持つ。『カルテット』では、もうひとりの自分と出会い、共に暮らすところで終わっていたが、『anone』では一歩進めて別れまでを描いた。
ハリカとるい子は誰にも頼れず、もうひとりの自分を見出し、それを支えに生きていくしかなかったが、偽札がきっかけで亜乃音たちに出会い、疑似家族になることで変わった。るい子は生まれてこなかった娘ではなく、自分の中で生き続ける持本舵手に入れる。ハリカは最大の願い、彦星が生き続けること、は叶った。しかし、それとの引き換えのように「もうひとりの自分」と決別することになる。それは「それまでの自分」を肯定し、受け入れることで前へ進んでいく、ということでもあった。
■ アオバとるい子
アオバ(蒔田彩珠)には『あまちゃん』の「若春子」へのオマージュを感じるが、その役割は異なっている。若春子はアキにだけ見える幻影だったが、それはアキがかつての春子と同じ状況に達した(芸能界への道を閉ざされる)サインであり、アキが劇中の役割(誰かの深く沈めた思いを浮上させて決着をつけさせる。「海女さん」はこの役割の象徴でもあった)に無自覚であったので、その役割を果たすための導き手でもあった。
アオバ自身の言葉によれば、彼女はるい子(小林聡美)にとって、生まれてこなかった娘であり、友人であり、分身である。「幽霊というのとは少し違う」と言っている通り、アオバはるい子が辛い人生を生きていくために作り出した幻影だが、死も背負っている。るい子が高校生だったときの制服を着ているのは、何もかも思い通りにならないことが始まった転換点であり、子供であることの象徴だ。
アオバが手鏡越しにるい子を見る、という演出が何度か出てくる。アオバはるい子の鏡像であることを確認しているのだが、後にハリカが鏡越しに怜を見る、という演出に繋がっているようだ。二人は鼻を撫でる仕草を共有している。人はよく誰かに自分のことか確認するとき、自分の指を鼻に向ける仕草をするが、これに似た動作でもある。鼻は自分自身を表していて、やはりアオバはるい子自身であること示しているように思う。
るい子は離婚と生き続けることを決めた後、アオバとゆっくりと手を合わせる。アオバは「わたし、いい子?」と訊くが、それはるい子自身が母親に確認したかったことだろう。るい子は母親の立場からアオバはいい子であり、好きだと肯定する。るい子がアオバを見たのは、おそらくこれが最後だ。
■ ハリカと彦星
ハリカと彦星もお互いに「もうひとりの自分」である。二人とも子供の頃に親に捨てられたも同然の境遇になり、「地球も流れ星になればいいのに」と思うほど絶望している。ハリカの長い前髪、青の多い服装は彦星のコピーのようでもあった。子供の頃の二人は施設を抜け出すが、ある意味二人の心はずっとどこかから抜け出した状態のまま、着地する場所を見出せずにいたようでもある。まだ世界が自分のためにあると思っていたような子供時代に、その世界から拒絶されたような二人は、お互い相手に自己を延長しあい、この世界にいるのは実質二人だけになる。「地球も流れ星になればいいのに」という言葉には、その他大勢の人はどうでもよい存在か、そもそも欠落しているように思える。余談だが、この「その他大勢の存在が抜け落ちている」のは大ヒット映画『君の名は。』でもある。だからダメな作品なのだが、このドラマの裏側でそれへの批判を意図していたのだとしたら、なかなか巧妙だ。流れ星、二人だけの世界。この映画につながる。
彦星を生かすことは、ハリカ自身が生きる意味にもなっていた。純粋だった二人は、お互いのために汚れる。ハリカは偽札作りという犯罪に手を染め、彦星は香澄の提案を受け入れ、高額な費用がかかる最先端の治療を受けることにする。それは少し大人になった、ということであるが、この世の中は「二人だけの世界」ではないことを認めることでもある。両方とも誰かの手を借りずにはなしえないことだから。更にそれは生きていくために必要なのは「もうひとりの自分」ではなく、別の誰かであると気付くことでもある。アオバとるい子がそうしたように、二人も最後に手を合わせる。
同じ手を合わせるという行為でも、それぞれの意味合いが違って見える。アオバとるい子の場合、触れることで分裂していた自己がひとつに戻ったような感じがする。ハリカと彦星の場合は、お互いが自己の延長のような存在ではなく、別々の存在であることを確め合ったように思えるのである。
■ 『転校生』と『カルテット』
大林宣彦監督の『転校生』は、「もうひとりの自分との出会いと別れ」の話である。この映画に出演していた小林聡美の配役は、その演技力だけでも十分な理由になるが、メタ的な意味も込められていたように思う。「さよなら、私」は、この映画で小林演じる一美の最後のセリフである。このドラマの作り手は、『転校生』から長い年月を経て、小林に別の形で「もうひとりの私」に別れを告げる役をやって欲しかったように思う。
「もうひとりの自分」は坂元裕二の前作『カルテット』から引き継がれたものでもある。真紀とすずめは互いに「もうひとりの自分」だった。二人とも奏者であり、母親を亡くし、父親には苦しめられ、名前を変えた過去を持つ。『カルテット』では、もうひとりの自分と出会い、共に暮らすところで終わっていたが、『anone』では一歩進めて別れまでを描いた。
ハリカとるい子は誰にも頼れず、もうひとりの自分を見出し、それを支えに生きていくしかなかったが、偽札がきっかけで亜乃音たちに出会い、疑似家族になることで変わった。るい子は生まれてこなかった娘ではなく、自分の中で生き続ける持本舵手に入れる。ハリカは最大の願い、彦星が生き続けること、は叶った。しかし、それとの引き換えのように「もうひとりの自分」と決別することになる。それは「それまでの自分」を肯定し、受け入れることで前へ進んでいく、ということでもあった。
2018年1月18日木曜日
『anone』 第2話
本当に欲しいものを手に入れるのは難しい。今持っているものさえ簡単に失ってしまうことがある。絶望の中で何かを求めて彷徨っているような舵(阿部サダヲ)、るい子(小林聡美)、ハリカ(広瀬すず)、亜乃音(田中裕子)の4人が本格的に絡みはじめた第2話。今回も紙切れ(偽札、書類、メモ)のようなアイテムを使い、全体がきれいにまとめられていたと思う。
■ 求めるもの、の代わりに
るい子は舵の店ため、ハリカは彦星の治療費のためにお金を手に入れようとする。亜乃音がずっと求めていたのは失踪した娘、青島玲(江口のりこ)。全員求めていたものは得られなかった。しかし、代わりのものがやってくる。ハリカは偽札をダシに亜乃音と交渉しようとするが、結局お金は手に入らない。その代わり、久しぶりに風呂と布団が与えられる。亜乃音の娘が失踪したのは19歳のときで、ハリカは19歳。彼女は入れ替わりのような存在だ。「愛想がない」と言われた亜乃音が少しづつハリカに心を開き、語っていく。ハリカは喋りはたどたどしい。そんな不器用な二人の心が徐々に共鳴していくようだ。ハリカがよく使う「あのね」は「亜乃音さん」に置き換わり、好きな時に話したいことを言える日が来るのだろうか?
るい子は完全にリーダーシップを握って舵を自分の行動(その動機は舵のためだが)に付き合わせる。自分という彷徨う舟を、舵を使ってどこかへ辿り着かせようとしているようにも見える。二人は亜乃音が裏金を持っていると思い込み、印刷工場に侵入するが目的のものは得られず、成り行き上ハリカをさらってしまう。
■ 紙切れで失うもの
花房法律事務所の場面で、息子が「なに勝手に依頼断ってるんだ」と言いながら書類を父親の顔に投げつける。法律事務所の契約も書類という紙で行われる。後につづく「紙切れ」で失うことのイントロダクションのようになっている。前回は偽札のせいでハリカの友達関係(のようなもの)は壊れてしまった。今回偽札が印刷される過程が描かれた。偽物であれ、本物であれ、紙幣は所詮印刷物に過ぎないのだと確認していたような気がする。その紙切れに人は振り回される。
舵は西海(川瀬陽太)から渡された書類にサインして土地を引き渡そうとしていた。その場に居合わせたるい子は、西海が人のいい舵を騙してきたのだと見抜き(西海はシャケが熊を襲うとか、デタラメを平気で言う奴である)、書類を破り捨てて、舵を助ける。
玲と亜乃音は血がつながっていない。突然現れた実の母がメアドを書いた紙切れを渡した後、玲は失踪する。実の母親の許へ行ったのか、それとも本当の母親だと思っていた亜乃音が急にニセモノに見えて来て混乱したのだろうか?とにかく二人の親子関係は唐突に壊れてしまった。
■ 赤と青が揃えば一緒にいられる?
登場人物に色が固定されている訳ではなさそうだ。今回るい子は赤い手袋だったが、舵は青いセーターを着ていた。ラーメン屋の亜乃音とハリカは赤と青。チャットに使っているアプリの中で、ハリカと彦星は赤と青。亜乃音とすれ違った親子も赤と青。どうやら、赤と青だと一緒にいられるということのようだ。前回出て来たツリーハウスは赤と青に塗り分けられていた。施設の壁にあった『忘れっぽい天使』を元にした絵は、背景が赤と青だった。まだ「共存」を意味している、とまでは言えないが、2つの色が揃うことが何かの合図になっているような気がする。
亜乃音は意を決して横浜にいる娘に会いに行ったが、無視されてしまう。この時玲は赤いユニフォームで子供は青いマフラーをしていたが、亜乃音は青いものを身につけていなかった。失踪してからだいぶ時間も経過し、玲自身も親になっているので、昔よりは亜乃音の気持ちが分っている筈。会いたくない、というより会わせる顔がない、ということなのかも知れない。会いたいのに会えない、という織姫と彦星の関係性がここにも見ることができる。
横浜から自宅に戻った亜乃音は工場が荒らされていることに気付く。事情を知らない亜乃音にすれば、ハリカが何かを盗んで逃げたと思うはず。それでも怒るというよりは、自分がそう言う目にあっても仕方がないと諦めているようにも見える。突然いなくなった、ということでは娘の失踪と重なる部分がある。15年前から天気予報の画面に娘の姿を探し続けてきた亜乃音。そして今日、娘と会えたものの取り戻すことは出来なかった。彼女はその出来なかったことを、19歳のハリカを通して実現しようとするのかも知れない。
■ 忘れっぽい天使
チャットで世の中のちょっと幸せになるものを出し合うハリカと彦星。施設にいた頃は、そんな他愛のないことさえ出来なかったのかもしれない。前回、今回とハリカはスケボーを忘れそうになっている。彦星がチャットの終わり際にさりげなく言った「忘れ物に気をつけて」は昔のハリカのことをよく覚えているからなのか。それともチャットを通してハリカが忘れっぽいことを知ったのか。彦星にとってハリカは「忘れっぽい天使」のように見えているのかも知れない。
2018年1月13日土曜日
『anone』 第1話を読み解く
パウル・クレー『忘れっぽい天使』
■ 赤と青
このドラマではメインとなる4人にイメージカラーみたいなものが与えられている。
赤:青羽るい子、持本舵
青:辻沢ハリカ、紙野彦星
ちょっと面白いのは、子供時代のハリカが赤い服を着ていて、青羽るい子の名前に「青」が入っていること。何か含みがありそうな感じではある。
この二組は相似形だ。余命半年と宣告された舵と、難病で死を覚悟している彦星。死に場所を探してると言いながらも居場所を求めて彷徨っているようなるい子、と、バイトは近くに「死」があり、家族も家もなくネカフェで暮らすハリカ。二組を対比させながら話が進むことになるのだろう。
■ 偽物と本物
坂元脚本に限ったことではないが、複数のエピソードを並べ、それらの共通点や対比的な要素を見出してもらい、それによって何かを感じてもらう、という手法は珍しくない。今回は「偽物」と「本物」が多く出てくるので、それぞれ分けてみる。
偽物(作られたもの):
・ネットカフェの友情
・ハリカの偽の美しい記憶
・偽札
本物(現実):
・孤独死が残すもの
・お金への執着
・ハリカの本当の記憶
ここでドラマを思い出すと、「偽物」は壊れて(壊されて、と言った方がいいかも)いくことに気付く。そして「本物」は醜い。今後は偽物でもいい、あるいはそれでも本物がいい、というような展開になることを予感させる。
このドラマのキャッチコピーは「私を守ってくれたのは、ニセモノだけだった」。第1話の時点で既に「ニセモノ」に囲まれていて、それは壊れてしまったが、また別のニセモノが追加されそうだ。
■ 風車
3枚羽の風車の映像が何度も出てくる。それはハリカの子供の頃の記憶とつながる目印であるし、林田亜乃音を中心に青羽るい子、持本舵、ハリカの3人がグルグル回るイメージを伝えているようでもある。第1話がすでに亜乃音が落とした偽札で3人が振り回される話ではあったが、今後4人が擬似家族を構成する話にもなりそうだ。
■ 織姫とスケボー、カノンと分身
「映像による語り」で最も印象深かったのは、彦星のいる病院を見つけたハリカが川を挟んでチャットする場面。「川」は間違いなく「天の川」を意識している。説話では、織姫と彦星をつなぐ橋をかけるのはカササギ。このドラマではその代わりに、じっとして動かないハシビロコウを出すことで、二人の間にまだ橋がかからないことを伝えていた。ハリカはやはり織姫に見立てられているので、二人はなかなか会えそうもない。
そもそも「何でハリカがスケボー?」と思っていたのだが、織姫であることを踏まえると、機織り機の部品を表現していたのかなと。縦糸の間をスーと通すやつ、って雑過ぎて分からないから写真を:
正式には「杼」(ひ)と言うらしい。
彦星がチャットで使った「カノン」という名前は「正典」という意味がある。映画では本編を「カノン」と呼ぶことがあり、そこで扱わなかったエピーソードで「スピンオフ」を作ったりする。『スターウォーズ』で言うと、エピソードI~VIIIがカノンで、『ローグ・ワン』がスピンオフだ。ということは、ハリカは彦星のスピンオフ的存在、つまり彼が見られない世界を体験する人ではないかと思えてくるが、そういうことだというヒントがドラマの中で提示されている。
ハリカの外見には意味が込められている、と思う。彦星が子供のときに着ていた青いダウンジャケットと前髪のイメージをハリカは引き継いている。「ハリカ」という名前は、例えばファンタジーなら男でも女でも通用しそうだ。ベリーショートの髪型もあり、彼女は少年のように見える。そしてハリカを演じる広瀬すずは、声でも「男の子」を表現しているようにも感じられる。彦星がハリカに望んでいるのは「外の話を聞かせてほしい」で、実際にそうしている段階で、ハリカは彼の分身のような役割を負っていることになる。彦星になりかわり、今の彼が絶対に出来ない、外の世界を見ることをハリカがしている訳だ。
ここで引っ掛かるのが、ハリカが彦星と施設を抜け出したときの記憶が無いこと。彦星のこと自体ほとんど憶えてないとすると、無意識に今のような格好をしているのだろうか?何度か出て来たクレーの『忘れっぽい天使』が示すように、ハリカは忘れっぽいだけなのか?それとも演出でその格好をさせているだけなのか?
「記憶」の問題は厄介だ。施設にいた頃の辛い記憶を美しい記憶に書き換えてしまったのは分かる。しかし、彦星との記憶がないのは不自然で、ハリカが記憶の一部にフタをしてしまっている可能性もあるし、彦星が全くの嘘を言っている可能性すらある。この辺は次回以降を見ていかないと分からない。
ハリカは織姫と彦星の分身的存在という2つの役割を担っていることになる。しかし、彼女が彦星という男子を演じでいるような状況では、織姫という女子の部分は抑えられてしまっているように思う。彼女が分身的役割を終えたとき、織姫として彦星に会える気がするのだが、これって...
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